自己紹介
こんにちは。
37歳の独身女・要介護3の父を在宅介護中のかもめです。
都内の分譲マンションに住み、在宅ワークをしながら、仕事と趣味をたのしんで生きています。
分譲マンションというのも、中小企業勤め10年の勤労祝いということで、33歳の頃に家を購入したものです。
という建前の理由と、父親の介護が本格的に始まろうとしていた頃だったので、いよいよ同居生活の準備が必要という段階にさしかかっていたからです。
当時(33歳)の頃は、近い将来に自分が会社を辞めているとも思っていなかったし、そもそも辞める気もさらさらありませんでした。(サラリーマンのときに購入を決断して良かった〜。)
フリーランス駆け出しの頃は、会社員のように決まった金額が毎月振り込まれないことで、ローン返済がこんなにも怖いものかと実感しました…。
そして35歳の私は、中小企業の会社を退職7ヶ月が経ち、フリーランスとして月収30万円を達成することができました。
副業5万円から始めた頃は、夢のまた夢だと思っていた金額ですが、なんとか這いつくばってきました。
そしてそして36歳の今、巡り巡って出会った担当者さんを経由して企業の契約社員として働きつつ、手取り30万円+副業50万円の収入を得ることができています。
私が副業をはじめたきっかけは、親の介護が始まるかも、というタイミングで自分の働き方と自分の理想を、立ち止まって考え直すことにしました。
「まだ介護は先のことだけど、いずれくるだろうな…」
という介護の心配もありましたが、実際には
「早起きもダルいし、満員電車の通勤も辛すぎ。職場のコミュニケーションも面倒。」
っていう理由が一番大きいです。
「在宅ワークだと働き方が自由そうで良いな…」
という気持ちから副業をはじめました。
少しでもこのブログが、少しでも参考になれば嬉しいです。
ここでは、僭越ながら自己紹介をさせていただきます。
水中で過ごした少女時代
両親が共働きということもあって、ひとつの預け先、という感覚で3歳の頃からスイミングスクールにぶち込まれました。
気がつけば、約20年間におよぶ選手生活に。
小学生の頃にジュニアオリンピックに出場したものの、大した成績は残せず。
出場するだけでも凄い、と言っていただけることも多かったですが、タイムさえ切れば誰でも出場できるし、そこで結果を残さないと何も意味がなかったので、あまり嬉しくはありませんでした。それに練習キツすぎ。
私の弱みは競争精神が著しく低いこと。
選手としては「何クソ根性」がある人とない人では雲泥の差がつきます。私にはそれがなかったんですよね。
良くも悪くもメンタル面での浮き沈みは皆無だったため、コーチからはよくドライすぎると言われていました。悔しくて泣いたり、自分の力が発揮できずに怒ったりすることもなく、淡々とした選手だったと思います。
うちに秘めた熱い想い、みたいなものもないし。
その道のプロになるためには、大量行動の力任せの勝負だけでは失速してしまうことを実感しました。
結果として、0.1秒の壁どころか、大きな差がついてリタイアしました。
元気いっぱいの小中高
とにかく学校がだいすきで、明るく活発な少女だったと思います。
小学校の帰りにデカい真っ黒の野良犬に追いかけられて、クリーニング屋さんの自動ドアに正面衝突して全破壊したのも、今となっては笑い話です。
小3の夏休み、自宅にドロボーが入るというプチ事件もありました。
終業式で学校が午前中に終わって、鍵っ子だった私は、家に帰るとドロボーと鉢合わせに。
恐怖で固まってしまいましたが、突き飛ばされたくらいで怪我もなく済みました。
犯人は慌てて、原付に乗って逃げて行きました。
私は謎の正義感から途中まで走って追いかけるという暴挙にでましたが、当然追いつくはずもなく。
私の110番デビューは8歳でした。
すぐに駆けつけてくれた警察官にヨシヨシと褒められて、小3の私はニンマリ。
忘れた頃に、母から「捕まったって」と聞きました。
それから中学の頃、また警察沙汰に。(被害者側で。)
通学中の満員電車で痴漢の被害に遭い、触っている犯人の手を掴み「この人痴漢です」と大声を出したら、そのまま現行犯逮捕へ。
朝の通勤の時間帯にも関わらず、周りにいた大人が助けてくれました。本当に感謝です。
それ以来、私も助けを求めている人がいたら絶対に手を差し伸べようと誓いました。
実際に、中学生の女の子とタクシーの交通事故を目の前で見たことがあるのですが、第三者の目撃情報や時系列での証言がいかに重要かを知っているので、早急な事件解決に協力できたことが嬉しかったです。
そして高2の頃に、全国弁論大会という謎の大会に謎に選出されました。
夏休みの宿題で「夢」というお題で作文を書くというもので、私は「甲子園という夢」というタイトルで、夏休み最終日に書き殴った記憶がうっすらと。
当日、壇上の袖から登場する私に、野球部が会場のホールいっぱいに響き渡る声援を送ってくれて、涙が溢れそうになり弁論ができなくなるところでした。嬉しかった。
そうこうしていると(?)あれよあれよと(?)両親が離婚調停になり、別居生活が始まりました。
私としては「好きにしてくれ」という感じでしたが、母親が愛猫2匹を連れて家を出て行ってしまったのでとても悲しかったです。笑
当時未成年だったので、親権をどうするか選択を委ねられましたが、母方の親戚よりも父方の親戚が好きなので、父を選びました。
父方の親戚は、季節の変わり目や、私の環境が変わる節目になると、田舎である大阪から必ず手紙を送ってくれまます。
遠く離れた場所だけど、親よりも信頼できる親戚がいることが自慢です。
遊び呆けた大学生
控えめに言っても365日のキツい練習や食事制限からの開放感がとんでもなかったです。
ここでも勉学はさておき、遊び呆けた4年間になりました。
こんなこともありました。
- 推しのツアーに合わせてwith一人全国ツアー
- 1ヶ月のオーストラリア留学
- 海外一人旅
- 借金デビュー(カードローン27万円)
- 利息地獄デビュー(リボ払いの沼へようこそ)
- 大学中退からの別大学入学
- 就活放棄
- 卒論はゴーストライター
- 3月卒業式ギリギリで就職
大学の学費を払う必要があったので、アルバイトをしていた時間も長かった記憶です。
私利私欲のために暴走し、自分で自分の首を閉めることもあってカツカツだったけど、それでも自分で稼いだお金を自由に使えることが楽しい、と感じれたことは良い経験。
お金が理由で諦める人生って嫌だな
その時に、ぼんやりと感じていました。
在学中、何よりも楽しかったことが、オーストラリア1ヶ月留学と、フランスドイツの2週間一人旅です。
その他にも、ロサンゼルス、ハワイ、グアム、シンガポール、ベトナム、インドネシア、韓国、台湾、上海などバイトしてお金を稼いでは旅行をしてました。
旅の途中で怖い経験もありましたが、結局生きて帰って来れているので「刺激的で楽しかった」という総評です。
自分の知らない世界を知れた経験が、今の私が掲げる人生の最終ゴールにもつながっています。
そして当時、大学在学中に私のことを面倒見てくれていた友人Y子は、卒業して15年以上経つ今でも定期的に会うほど仲が良いです。
人の話を聞かない私に、テスト範囲や休講はもちろん、移動教室や持ち物も的確に教えてくれる、Botのようなパシリのような存在(褒め言葉です)。唯一の友人Y子。
そして、ようやく20年間の競泳人生に幕がおりるのと同時に、一切、勉学に励まず終わりました。
働き盛りでもない20代
2013年卒のマイナビにはログインすることもできなくなり、ハローワークへ駆け込み、滑り込みで応募した小さなIT企業へ一発採用。
IT企業を選んだというよりも、
- 立ち仕事以外
- 接客、サービス業以外
- 営業なし
- 年間125日以上休み
この条件を満たすものがちょうどあった、という感じです。
そして、無事に日本人として誇りある「新卒ブランド」を手にすることができました。
ところが、就職して3年経ったあたりに倒産するとの話が。
当時、同じプロジェクトで働いていた別会社の女社長に相談したところ、タイミングよく拾っていただくことになりました。
スキルアップ意欲はないし、仕事でどうなりたいか、目標なんてなにもない。
そんな無気力で無計画な私を秒で雇ってくれました。
しかも、新卒で入った会社は手取り13万円ぽっちでしたが、一気に手取り26万円にアップしました。
この勢いで一人暮らしをスタート。家賃9万円(1DK)の品川区の新築マンションに決定!
ニートにならずに済んだし、なんなら給料は倍になったし、社長は本当にステキな女性だし、私は本当に運が良い。
今思えば、超若手の20代前半にボーっと過ごしてた自分をぶん殴りたいです。
まぁ、当時の自分にはわからないんですよね。
社長は「うちに来てくれてありがとう」と入社した日から退職する日まで、よく言葉をかけてくれました。
そんな社長とは、公私共に一緒に過ごす時間がとても長く、よく私の面倒を見てくれました。
仕事はもちろん、社会人としての振る舞いをたくさん教えてくれて、多くの経験をさせてくれたことが本当にありがたいです。
そうこうしてたら、あっという間に20代も後半にさしかかり、周りは結婚・妊娠・出産ラッシュ。
私も同じ波に乗れると思いきや、そうもいかず。
10代の頃には26歳で結婚して、28歳には子供を産んでいると思ってたんだけどなぁ。
「結婚したいか」と言われると即答で「したい」と言えるほどでもないし、まぁいっか。
それよりも、転職して収入が2倍に増えて、一人暮らしを始めて自由が増えて、「超楽しい!」と思う方が強かったです。
コロナ禍で変わる30代
そんなふうに、なんでもない毎日を過ごしていた30歳の頃、コロナが始まって、自宅で過ごす時間が必然的に長くなりました。
一時期、仕事で完全在宅勤務となり、その時に自由な時間がめちゃくちゃ増えたんですよね。
「その時間を使って、本業+αの副収入を得られるといいな」
そう思って副業を調べていたところ、マナブさんやヒトデさんのブログに辿り着いて「ブログで稼ぐことができるんだ」と知りました。
そこから、アフィリエイトブログを見よう見まねで始めたことが、副業の第一歩でした。
結果として、アドセンス月1万円(PV数は3万)+アフィリエイト月1万円=月2万円程度で、挫折。
あはは。
あっという間に、本業も完全在宅から徐々に出社モードに切り替わって、ボーナスタイムも終了。
この期間で在宅勤務のウマみを知り、毎朝の満員電車通勤と拘束時間にとんでもないストレスを感じるようになりました。
- そもそも早起きが辛い
- 会社に行くための着替えやメイク
- 遅延を見越した早めの出社
- 当然の満員電車と遅延
- 会社のエレベーター激混み
- 暑くても寒くても大風でも雪でも出社
準備含めて往復の出社で約3.5〜4時間はとられているはず。
となると、月に多くて80時間使ってることになるんですよね。賃金も発生しないのに。
出社するだけで体力はゼロになるし、無理して頑張って出社する労力とは…?
みんな頑張り屋さんすぎて、私ついていけナイヨ…
人間関係の面倒臭さ、みたいなものよりも、通勤に時間と労力を奪われることが何よりも苦痛。
しかもこの頃、
- 私の難病発覚
- 不妊治療
- 家族介護の現実味
- 婚約破棄
負のイベントが大渋滞でした。
当時、お付き合いしていた方と婚約し「私もようやく、普通の人生コースに乗れたのかも」と少し安心していた矢先のことです。
私自身が、骨髄異形成症候群と診断されました。
医師からは遠回しに、
「将来的なことは、少し覚悟しておいた方がいいかもしれませんね」
…人生初の余命宣告!!!
え?死ぬの?私が?と、耳では聞こえているのに、脳が受け付けない感覚でした。
その頃、以前からわかっていた子宮奇形 × 子宮内膜症の影響で、不妊治療も始まっていて。
通院、仕事、命の不安、そして父の介護が始まりだしてきて、見事に婚約破棄。
「結婚なんて、そりゃ無理だわ」ってなげやりにもなっていたかも。
とはいえ、私にはやりたいことが山ほどあって。
ここでようやく「会社員だけだとオワる」という危機感がでてきました。
会社員の給料が安いとか高いとかじゃなくて、時間も、場所も、人生も、全部コントロールできない働き方のままだと、自分の理想を叶えられない。
だから、必要に迫られて副業を始めました。
理想の人生を実現するためには、お金が必要。
私の最終ゴール
- 猫を飼う
- 朝はゆっくり起きる
- ドイツに住んで生活をする
- 窓から山が見える部屋に住む
- キングサイズのベッドで寝る
- ドイツ語で会話ができるようになる
- 週末は地元のサッカー観戦を楽しむ
- 大好きなバイクに乗ってアウトバーンを駆け抜けてヨーロッパ周遊する
私のやりたいこと
- 温泉宿を巡りたい
- 100名山を制覇したい
- 思う存分に推し活したい
- Honda GB350を買いたい
- ワーケーションを楽しみたい
- 世界各国・全国各地を旅行したい
私利私欲まみれのやりたいことリスト。まだまだ書ききれない。
こんなにやりたいことが山積みなのに、やりたくないことのために時間を使っている場合ではない。
ようやく気づけて、よかった。
気づくのが遅かったかな、と頭をよぎったけど、始めるに遅いなんてことは何もない。
だから伝えたい
あの頃の私からは想像できませんが、今の私は、要介護3の父を自宅介護しながら、フリーランスという働き方を経て在宅ワークで月収80万円を叶えられています。
退職後、フリーランスとして約7ヶ月目でようやく30万円を達成しました。
私はローン返済と介護があるため、最低でも30万円を稼がないと生活水準を保てないので、必死に目指しました。
でも、このブログでお伝えしたいのは「もしもに備えた、ゆるやかなプチ贅沢生活」ができるようになること。
そのために、本業+αで月5万円(年間60万円)の副収入を得るロードマップを作ります。
想像してみてください。
月5万円あるだけで、生活はこれだけガラっと変わります。
- 貯金できる額が増える
- 現金を手元に残せる安心感
- デパコスも買える
- ちょっと良い洋服も買える
- 推し活で遠征もできる
- 週1で映画などのプチ贅沢
- 毎週末スタバでゆっくり
- 旅行もできる
- 快くお祝い品を送れる
- 急病に備えられる(自分も家族も)
ただ、これを読んでいる人の中には
「私には何にもスキルがないから無理」
「30万円なんて無謀すぎる」
「私にはできるわけない」
と嘆いているかもしれません。
そんな方に向けて、このブログでは「月5万円を達成するためのロードマップ」を用意しました。
そして、本業+αで副収入を得て、少しでも自分の理想を見つめ直すきっかけにしてください。
正しい順番でやれば、5万円は決して難しくありません。
そして、5万円を達成すると10万円も簡単です。
ただし、最初時間を捻出する必要があるので、時間だけは確保してください。
スキルはなしでOK。
10年以上OLをやってきたあなたなら大丈夫。
こうやって背中を押されて行動できる人は、100人中1人と言われています。
だから、行動した人は昨日の自分よりも1歩先に進むことができるんですね。
私はそうやって自分を鼓舞して、のらりくらりと過ごしています。
たった5万円、されど5万円、年間にして60万円が増えると思えば、やってみる価値はあると思います。
ぜひ、一緒に頑張っていきましょう。
